人間が、欲望をなくすことは絶対にない。
ただ、欲望を見失ってしまうことはある。
時代が欲望から離れてしまったように見えるのは、単に、クリエイティブの「量」と「質」が足りないからだ。
なぜならば、欲望の勢いは、クリエイティブの革新のエネルギーに比例するものだから。
「脳よだれ」。
それは、時代という迷宮の中で、「欲望」という人間精神にとっての永遠の「エルドラド(黄金郷)」を探そうとするクリエイターたちが立てたフラッグ。
時代は、脳がよだれを垂らして喜ぶような表現を求めている。
創造の工夫と努力は、すべての人間の元気と生命のために。
簡単なようで、難しいことだ。
やっかいなことに、人間の欲望は、本能という不変の衝動に駆られていると同時に、永遠に更新され続けなければならない。
生物として古来変わらない欲望が、斬新な切り口で誘われてこそ、初めて着火するものがある。すべてのブームはやがて下火になる運命にある。
しかし、ブームというロケット無しで、私たちは欲望の成層圏にたどり着けない。
私たち人間の脳は、ブームという「バブル」を通して、素晴らしき新世界と出会い、それを自分のものにするのだ。
アポロ11号の月着陸で巻き起こった熱狂は、あっという間に消えた。人々の宇宙への興味が再び燃え盛るには、民間宇宙旅行、火星探査といった新しい切り口が必要だった。若者は車離れをしているのではない。
斬新で、見たことがないような車、そしてその魅力的な広告の登場を待っているのだ。装う、着飾るという欲望が弱くなっているのではない。
人々は、周囲と自分が一新されてしまうようなファッションとの出会いを望んでいる。
実質と伝達は、一体のものである。コミュニケーションのプロセスの中で、自己と他者がつくられる。
「私」も「あなた」も、日々更新される。
時には、一つの瞬きの間に。
瞠目して待つべき表現の超新星はどこか?人々は、常に、耳を澄ませて夜空を見上げている。欲望は、しなやかに、強く、そして常に新しく。
心あるクリエイターは、幼き日に星を見上げて感じた「センス・オブ・ワンダー」を忘れない。表現する欲望こそが、欲望そのものを更新する。
だからこそ、万物は「脳よだれ」にあこがれる。